迷宮を突破してサカムビット公と握手!

デストラップダンジョンリメイクの話を聞いた頃に描いた想像図。
某スレでは鬼スルーだったので泣き塗れたのは過去の話。

>過去出版された当時からも「名作」の呼び名も高い決定版!

ところで僕は死のワナの地下迷宮はちゃんと解いてないというか、ぶっちゃけ結構なクソゲーだと思うんだけどどうなんだ?
以下、多分長い。んでもってネタバレ分も含む

この本ってファイティングファンタジーシリーズの中でもかなりフラグ潰しゲーの要素が強い気がするんだけどいかがなもんかと。

最初の頃はまず、普通にプレイする。判断材料の乏しいニ〜三択を突きつけられその内死ぬ。→そうこうやって何回か遊ぶうちに、だんだん、ルートの中継点などが見えてくる。で、そうこうする内に最終設問のトコまでたどり着くけるになる。→最終関門クリアに必要なアレを集める為にルートの洗い出しをする。→その最後もノーヒントだけど死にながら正解をみつけるまでやる。→サカムビット公と握手!

というわけで、大体4、50回ぐらいの再挑戦は必要なんじゃないんですかね。このゲーム....戦闘はダイスを振らずに全部勝った事にして。

だって、もうまず、この頃、シリーズ6冊目にして既にリビングストンのバランス感覚が早くも崩壊してるっていうか、普通にやったら、出来たキャラクターの半分はミノタウルスと戦ったら余力のかなりをゴッソリ削がれるレベルの死闘を演じることになるはずだぞ!
イヤ、途中で技術点をあげるチャンスがあるとは言ってもだ。

ズルをしてもそれだけの回数を延々同じセクションを読む羽目になる筈になるわけで、そうしてくうちに最初のサカムビット公のお手紙は読まないけど(読んだパラグラフを通過した事にしておいて)金貨だけは貰っていおいて、先に進んだりするわけで、そうなったら後は、最初の分岐路から始める事にしたりするわけだ。
そうするとどんどん、まともにゲームはしなくなって、指セーブ上等だったり、「この運試しは成功した事に!」とかなってくわけでして。

まぁ、ゲームブック自体にそういった要素があるとはいえ、死の罠の地下迷宮に関しては、特に、こー、フラグ潰しをさせてられているという感覚が強かった気が。
ゲームブックは死に様を楽しむもの」か何かは確か扶桑社版のバルサスの帯に書かれていた山本弘の言ですが、それにしてもルートを洗い出していく過程のメタな視点で楽しみを見出すことが出来ないと、リビングストン的には手強いダンジョンのつもりかも知れないけど、やってるぶんにはもう全然作業なわけで。

後、話が最後までひたすら後味悪いのも嫌だったなぁ。
最後のノームの食い下がりっぷりとか、唯一の癒しであるスロムさんの最後だとか
主人公のモチベーションも、特にドラマ性もなくて「賞金欲しいっス!」みたいなそのまんまなのだけで、最後もつつがなく賞金貰って終わりだし

まぁ、とにかく個人的には、相性が悪い本でそのせいかどうかは謎ですが、多分この頃からゲームブック離れしていったよーな。

とか言いつつ差分を見てニヤニヤしたいので、リメイク版は買うわけですが